2011年06月28日

「福島は謝らなければならない」いいえ、だれでも

6月11日、原爆ドーム前の脱原発の集会の中で「福島は謝らなければなりません。」
と語った女性がいました。声を震わせながらも毅然と。
そして私たちに向かって深く、深く頭を下げてくださったのです。
えっ、なぜあなたが謝るんですか?私は思わずビデオのボタンを押して彼女の残りのスピーチを撮りました。その言葉には胸が詰まってカメラは大ブレ。そして次に語った男性のゆっくりと噛みしめるような言葉は、その重さを胸に刻むものとなりました。彼らは福島から今、広島に避難してきている人たちです。
私は集会後彼らと言葉を交わしたものの迂闊にも連絡先を交換しておらず、彼らにその映像を公開して良いかどうか確認するのに時間がかかってしまいました。

昨日、その女性とやっと再会を果たし、また男性から映像公開OKのメールが届き、そしてまさに昨日、地元の中国新聞の女性記者さんが私と同じ思いの記事を書かれていたのです。そこで私はまたまた運命的なものを感じここに書いているというわけです。

女性は映像公開をためらっていらしたので、大ブレの下手なビデオに代えて彼女のスピーチを文字でここに残すことにします。

福島は謝らなければなりません。
原発立地県民として世界中の皆さんに謝らなくてはなりません。
現福島県知事に福島原発運転再開とプルサーマル運転許可の判を押させてしまい、県民の一人として止めきれなかったこと、結果が出せなかったことを本当に申し訳なく思います。
ごめんなさい。
これはやっぱり県を出てみて初めてひしひしと感じたことです。
出てみなさいとは言われませんでしたが、本当に、ここまでやってきて、
被害者であると同時に加害者であるということの一端を(担っていたことを)
自分でもう一度かみしめ直して、皆さんの前にこのように立たせて頂けた
ことを、良かったと思っています。


脱原発パレード終了後、彼女に、「謝らなくてもいいですよ」と私が声をかけましたら、彼女は「いいえ、謝らなければならないのです。私たちがやめさせることができなかった、力が及ばなかったことを今しっかりと反省して、この悲しい犠牲を無駄にしないように、今どうしても止めると心に誓うために、謝らなければならないのです」という意味のことをきっぱりと言われたのです。
私は広島が謝らなくてはならないと思っているのに。

事故はどこででも起こり得る。福島だけではなく。私たち日本人みんなが今彼女と同じように反省し、正しい道を選ばなければ、日本はおろか地球全体に罪を犯すことになります。
ですからたくさんの人に、そしてこれでもなお原発を存続させようとしている方々に読んでもらいたい言葉です。

男性の映像はこちらに。彼は奥さんと子どもさんを広島に避難させ、福島で仕事をしています。月に一度家族のもとへ通うとのことでした。



posted by sneshika at 11:47| 原発

2011年06月20日

森住卓写真展:「Nuclear Blue 核に蝕まれる地球」に福島の写真を追加

森住卓写真展 http://www.morizumi-pj.com/shashinten/index.html
「Nuclear Blue 核に蝕まれる地球」に福島の写真を追加しました。

悲しいです。福島を追加しなければならなくなったなんて。本当に悲しい現実です。
以前、stop rokkashoという企画で坂本龍一さんやshing02さんたちが作られた曲と「Nuclear Blue」の写真のスライドショーを作りました。
その時のコピーを「これらは明日の六ヶ所かもしれない」としたのですが、六ヶ所の前に福島が来てしまいました。

「Nuclear Blue」の写真の一つ一つ。それらの悲劇は、次の悲劇を生まないための犠牲ではありません。過去の教訓になんてなりたくない、何の罪もなく、逃げることもできず、汚され、健康を奪われていった事実です。
しかし、それらを見、知った私たちは、せめてこの過ちを繰り返さないことでしか、彼らの犠牲に報いることはできません。
残念なことに、過ちは繰り返され、福島は起こってしまいました。私自身、努力が足りなかったと悔やまれます。

スリーマイルの事故を起こした国も、チェルノブイリの悲劇を生んだ国もいまだに原発を続けています。今、日本がやめなければ、地球全体に禍根を残すでしょう。
今、原発を続けるかやめるかを問われるなら、選ぶ道は全廃でしかないはずです。
NHKでアンケートを実施中です。http://www.nhk.or.jp/genpatsu/

核の悲劇を見、知り、そしてこれからの道を決めるために、皆さん、写真展「Nuclear Blue 核に蝕まれる地球」を利用してください。

上の記事で紹介したサイト
■福島の写真のサムネールとキャプション
http://www.morizumi-pj.com/shashinten/fukushima.html
■「stop rokkasho+Nuclear Blue」
http://www.morizumi-pj.com/shashinten/stoprokkasho.html
posted by sneshika at 10:09| 原発

2011年06月12日

6.11脱原発100万人アクションinヒロシマ

大雨を予想していましたが、すっきり晴れわたり、天は私たちに味方したのか、という一日となりました。

スタート集会では福島から避難してこられた方々の訴えに本当に胸が痛み、そして責任を共感しました。



みんなのアピール



posted by sneshika at 15:51| 原発

2011年06月04日

原子力の平和利用(旧ソ連)1 ― プロジェクト「チャガン」(2)

ソ連の科学者たちは、核爆発によるクレーターを中央アジアの乾燥地域にたくさん作り、春の雪解け水を貯めて貯水池とすることで、エネルギー不足や、灌漑のため、また、カスピ海やアラル海、アゾフ海の塩化を防止するために利用できると考えたのです。
かくして春の雪解け水でチャガンのクレーターは満たされ、保水量17000〜2000万立方メートルの人工湖が出来上がりました。

生物実験
1960年代終わりから原子の湖の生物学実験所では、残留放射線の生物への影響を調べるための実験を行いました。湖には36種の魚(アマゾンのピラニアも含む)、27種の軟体動物、32種の両生類、11種の爬虫類、8種の哺乳類、42種の無脊椎動物、約150種の植物(水中植物を含む)が入れられました。それらのほとんどはこの地方に特有な動植物ではありませんでしたが、数年間の調査で、90%が死滅しました。
生き残ったものには異常な数の突然変異や、子孫の外形の変化(例えば、ザリガニの巨大化など)が見られました。1974年、この生物学実験所は閉鎖されました。

現在、カザフスタンは核実験によって特に大きな被害を受けた地域のリストにチャガンを入れています。湖周辺の放射線(放射性同位元素コバルト60、セシウム137、ユウロビウム152、ユウロビウム154からなる)は、2000年の調査では2〜3ミリレントゲン/1時間 で、部分的には8ミリレントゲン/1時間まで上昇する所もありました。(通常は15〜30マイクロレントゲン/1時間)
posted by sneshika at 12:40| 原子力(核)の平和利用

2011年06月02日

原子力の平和利用(旧ソ連)1 ― プロジェクト「チャガン」(1)

原子力の「平和利用」というと、まず頭に浮かぶのは原子力発電所や医療用なのですが、旧ソ連では1965年から1988年までの間に国民経済のためという「平和利用」の核爆発が124回(アカデミー会員のヤブロコフ氏の説では169回)行われました。核実験場の外でも117回行われたとのことです。
この記事は以下のサイトを参考に書いています。
Проект ≪Чаган≫ http://p.tl/X47q 
Мирные ядерные взрывы в СССР http://ekimoff.ru/178/

プロジェクト「チャガン」
世界で最初の産業目的の核爆発は1962年6月にアメリカのネバダ州の核実験場で行われた104キロトンの熱核爆発「セダン」プロジェクトでした。
1962年、ソ連でも「平和利用の原爆」の大々的なプログラムが開始されます。ソ連の学者たちは、核爆発によってできるクレーターは貯水池とするのに非常に適していると考え、カザフスタンに40の人工貯水池を作ろうと計画したのです。

プロジェクト「チャガン」の核弾頭は核出力170キロトン(広島の原爆の核出力は約15キロトン) 直径
86cm、長さ3mで、チャガン河の河床(水が干上がっている部分)の穴に置かれ、1965年1月15日、午前5時59分59秒(グリニッジ時間)、爆破されました。
爆破の2.5秒後、赤熱したガスの雲ができ、5分後にはその雲は4800mの高さに達しました。爆発は1030万トンの土を950mの高さまで噴き上げ、直径430メートル、深さ100mのクレーターができたのです。数千トンの重さの岩盤を破壊し、土は河床を埋めました。「大気中の核実験を何度も見てきたけれど、これほどきれいな核爆発は今まで見たことがない。」と、このプロジェクトの指導者のトゥルチンは後に回想したそうです。
chagan_voronka.jpgchagan.jpg

放射能汚染
爆発による雲は2000人が住む住民居住地域を覆い、もっとも汚染された地域の住民の甲状腺の被曝線量の増加は爆発後1年半で14レム(100レム=1シーベルト)となりました。(規制値は年間0.5レム、あるいは50年で5レム)
爆発1日後のクレーター周辺部のガンマー線量は30レントゲン/1時間で、10日後は1レントゲン/1時間。クレーターの底の汚染は1965年3月26日、つまり爆発2ヶ月後に計測され、150〜400ミリレントゲン/1時間で、クレーター周辺部の約2分の1でした。 

65年の春、チャガン河の河底と核爆発でできたクレーターはと運河で繋げられました。運河は通常の化学爆弾と土木作業機器で作られ、(ブルドーザーの運転席や作業員は5mm程度の鉛の板で防護)汚染地域で182人が作業しました。ソ連保健省の副大臣は彼らの危険線量を30レントゲンとしました。(規制値は年5レントゲンであるにもかかわらず)公式データでは、これら182人の内、121人が3レントゲンまで、、37人が3-5レントゲン、24人が5-9レントゲンとなっています。(つづく)
posted by sneshika at 11:51| 原子力(核)の平和利用