2011年05月15日

広島は福島に謝らなければならない


私は広島生まれではありませんが、この地に住んで久しい広島市民です。
原爆について、ある程度は知っているつもりです。でも、すぐ説明しろと言われると難しい。
ですから、そういう必要が生じたときは『絵で読む 広島の原爆』文:那須正幹、絵:西村繁男(福音館書店)という絵本を紹介しています。

絵本ですが、子どもたちだけでなくおとなにも多角的に原爆を知ることができる1冊です。
被爆時の惨状はもちろん、マンハッタン計画、核の連鎖反応、放射線障害、放射性物質が蓄積しやすい臓器、半減期、、、、そういえば、臨海という言葉もこの本で知りました。

ところで、今日改めてこの本の中に出ている年表を見たのですが、そこに、「1955年1月 米下院議員、広島に原子力発電所建設提案」という一文が書いてあります。
ある程度反核運動などをされている方は「そんなことも知らないの?」と言われるかもしれません。
でも、私は知らなかったのです。
「なんと、アメリカは原爆で破壊し、汚した地に、原発まで押しつけようとしたのか、」と憤りをもって、早速この件を調べました。

森瀧市郎さんの『核絶対否定への歩み』(渓水社)によれば、
1955年1月、イエーツ米国下院議員が広島に原子力発電所を建設すべしとの提案をなした、との報道が新聞・ラジオで行なわれたので、原水禁広島協議会常任理事会で協議し、問題点を明示する声明書を出す。

中国新聞に載った声明
1、原子力発電所装置の中心となる原子炉は、原爆製造用に転化される懸念がある。
2、原子炉から生ずる放射性物質(原子核燃料を燃焼させて残った灰)の人体に与える影響・治療面の完全な実験が行なわれていないため重大な懸念がある。
3、平和利用であっても、原子力発電所の運営に関してアメリカの制約を受けることになる。
4、さらに、もし戦争が起こった場合には広島が最初の目標になることも予想される。
5、原爆を落とした罪の償いとして広島に原子力発電所を設置するということもいわれているが、われわれは何よりも原子病に悩む数万の広島市民の治療、生活両面にわたる完全な補償を行なうことを要望する。

この声明に対する浜井広島市長の新聞談話は「原子力平和利用は一昨年から私が米国によびかけていたもので、とくに昨年渡米したときマイク正岡氏にも頼んだ。彼の熱心な運動が実を結んだのだと思う。しかし微量放射能による悪影響が解決されない限り平和利用はあり得ない。
いずれにしても原子力の最初の犠牲都市に原子力の平和利用が行なわれることは、亡き犠牲者への慰霊にもなる。死のための原子力が生のために利用されることに市民は賛成すると思う」

さらに、広島平和研究所・教授 田中利幸さんの「原子力平和利用」と広島
http://peacephilosophy.blogspot.com/2011/05/yuki-tanaka-hiroshima-was-target-of.html によれば、
広島市は1958年4月1日から、「広島復興大博覧会」を開催した。最も人気を集めたのが、史上初のソ連の人工衛星を展示した宇宙探検館と原子力科学館であった。原子力科学館には、55年に開館した広島平和祈年資料館が当てられた。

『広島復興大博覧会誌』には、次のような描写も含まれている。「近い将来実現可能な原子力飛行機、原子力船、原子力列車などの想像模型が並べられている。人類の多年の夢が、今や現実のものとなってくるかと思えば本当に嬉しい限りだ。原子力の平和利用は、世界各国が競うて開発しているところであるが、ここには各国最新の情勢が写真でもって一堂に集められている。
今や日進月歩の発展を遂げつつある世界の原子力科学の水準に一足でも遅れないようにわが国も努力をつづける必要があると痛感させられる。」


先ごろ、日本への原子力発電所導入をめぐる、アメリカと読売新聞の正力松太郎氏についての番組を見ましたが、広島の市長自らがアメリカに働きかけていた事実、また、広島復興大博覧会における原子力科学の展示が現在の原爆資料館の前身で行われ、人気を博したことには驚愕する思いです。

これが今日につながってきたのかと思うと、広島は福島に謝らなければならないのではないでしょうか。
posted by sneshika at 01:44| 原発