2011年06月02日

原子力の平和利用(旧ソ連)1 ― プロジェクト「チャガン」(1)

原子力の「平和利用」というと、まず頭に浮かぶのは原子力発電所や医療用なのですが、旧ソ連では1965年から1988年までの間に国民経済のためという「平和利用」の核爆発が124回(アカデミー会員のヤブロコフ氏の説では169回)行われました。核実験場の外でも117回行われたとのことです。
この記事は以下のサイトを参考に書いています。
Проект ≪Чаган≫ http://p.tl/X47q 
Мирные ядерные взрывы в СССР http://ekimoff.ru/178/

プロジェクト「チャガン」
世界で最初の産業目的の核爆発は1962年6月にアメリカのネバダ州の核実験場で行われた104キロトンの熱核爆発「セダン」プロジェクトでした。
1962年、ソ連でも「平和利用の原爆」の大々的なプログラムが開始されます。ソ連の学者たちは、核爆発によってできるクレーターは貯水池とするのに非常に適していると考え、カザフスタンに40の人工貯水池を作ろうと計画したのです。

プロジェクト「チャガン」の核弾頭は核出力170キロトン(広島の原爆の核出力は約15キロトン) 直径
86cm、長さ3mで、チャガン河の河床(水が干上がっている部分)の穴に置かれ、1965年1月15日、午前5時59分59秒(グリニッジ時間)、爆破されました。
爆破の2.5秒後、赤熱したガスの雲ができ、5分後にはその雲は4800mの高さに達しました。爆発は1030万トンの土を950mの高さまで噴き上げ、直径430メートル、深さ100mのクレーターができたのです。数千トンの重さの岩盤を破壊し、土は河床を埋めました。「大気中の核実験を何度も見てきたけれど、これほどきれいな核爆発は今まで見たことがない。」と、このプロジェクトの指導者のトゥルチンは後に回想したそうです。
chagan_voronka.jpgchagan.jpg

放射能汚染
爆発による雲は2000人が住む住民居住地域を覆い、もっとも汚染された地域の住民の甲状腺の被曝線量の増加は爆発後1年半で14レム(100レム=1シーベルト)となりました。(規制値は年間0.5レム、あるいは50年で5レム)
爆発1日後のクレーター周辺部のガンマー線量は30レントゲン/1時間で、10日後は1レントゲン/1時間。クレーターの底の汚染は1965年3月26日、つまり爆発2ヶ月後に計測され、150〜400ミリレントゲン/1時間で、クレーター周辺部の約2分の1でした。 

65年の春、チャガン河の河底と核爆発でできたクレーターはと運河で繋げられました。運河は通常の化学爆弾と土木作業機器で作られ、(ブルドーザーの運転席や作業員は5mm程度の鉛の板で防護)汚染地域で182人が作業しました。ソ連保健省の副大臣は彼らの危険線量を30レントゲンとしました。(規制値は年5レントゲンであるにもかかわらず)公式データでは、これら182人の内、121人が3レントゲンまで、、37人が3-5レントゲン、24人が5-9レントゲンとなっています。(つづく)
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posted by sneshika at 11:51| 原子力(核)の平和利用