2011年10月27日

チェルノブイリと福島 ―ベラルーシの経験を福島に生かせるか(1)

久々の更新です。

チェルノブイリと福島―ベラルーシの経験を福島に生かせるか
 

925日から101日、ベラルーシへの医療支援に同行した。毎年行われるチェルノブイリ医療支援団体からの派遣で、私は三度目の訪問となる。
参加を決めるにあたって、実はとても悩んだ。今、福島の原発事故で多くの人々が苦しんでいる中、他の国の支援をしている場合ではないだろうと。
しかし今まで、はたしてどれだけ真剣に現地の人の言葉に耳を傾けていたかを考えると、もう一度行って25年の経験を知り、福島に少しでも生かすことができないか、との思いで参加に踏み切った。
また、今回は新聞3紙の記者の同行もあったので、今までとは違った方面での情報が得られるかもしれない、という期待もあった。

 ベラルーシでの最初の訪問は日本大使館。
松崎大使は、私たちの訪問に、堰を切ったように語り始めた。
福島第一原発事故後、日本の国の機関からベラルーシを訪れたのは農水省だけだった、本来厚労省や文科省が一番に来て情報を得るべきではないのかと。農水省からは土壌の専門家と畜産の専門家がやってきて、ベラルーシの研究所からたくさんの資料を持ち帰ったとのことだった。
それを聞くと、現在に至るまで日本で行われている対策に思いが及ぶ。やはり日本の当局がしていることは、人々を被曝させないための避難より、汚染した土壌をなんとかして、避難を減らしたり、いったん避難した人々を元に戻すというものなのではないか。

チェルノブイリの状況をよく知り、しかも福島県出身の大使は、半年が経過しても具体的な方策ができていない日本の現状にいらだちを隠せなかった。
チェルノブイリでも30キロ圏内の汚染地域にはいまだに戻ることができない。 もちろんお年寄りなど住み慣れた土地で余生を過ごしたいと自発的に戻っている人々はいるが、少なくとも子どもや若者が暮らせる環境ではない。
日本でも高汚染地域には今後長い期間戻ることはできないだろう、いたずらに戻れると期待を抱かせるような対策を取るより、土地を買い上げるなど、抜本的な対策・補償を早く行うべきだと語った。
また、甲状腺ガン以外のガンの放射線との因果関係については、チェルノブイリ事故前、旧ソ連時代は医療体制は制度的には整っているように見えたけれど、中身は充実していなかったのでデータはなかったと言っていい、統計は鵜呑みにしてはいけない、とのことだった。
要するに、甲状腺ガン以外の癌に関してはデータ上で判断するとすれば「ない」とか「ある」とか言えるレベルではなく、「わからない」というのが正しい表現なのかもしれない。(つづく)
   
posted by sneshika at 08:48| 原発