2012年03月21日

3月20日(旧日銀)アーサー・ビナードさんギャラリートーク


昨日3月20日、被爆建物である旧日本銀行広島支店で行われている「きみは3.11を見たか?」の展示を見に行った。
アーサー・ビナードさんによるギャラリートークにも参加した。

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ロビーで展示されていた「神隠しされた街」は今年1月に出版された『ひとのあかし』に収められている若山丈太郎さんの詩と斎藤さだむさんの写真、そしてアーサー・ビナードさんの英訳である。
内容については、足を運べる方は実際に見て頂きたいし(25日まで開催)、無理な方は『ひとのあかし』を手に取って頂きたい。
ビナードさんが「予言だ」と叫ばずにはいられない若山さんの「神隠しされた街」は1994年にすでに詠まれていた。
現在の福島の状況を予言する。
ビナードさんによれば若松さんとの会話の中で彼は「不遜」という言葉をよく口にされるそうだ。「まわりの人間に対しても、他国の人間に対しても、動植物に対しても大平洋と活断層に対して、公平に向き合って、いわゆる「上から目線」が一切なく、ひたすら平等に臨んだことがポイントではないか」(『ひとのあかし』まえがきにかえて より)

「神隠しされた街」の詩を見ていると、そこにある福島の現在の写真だけでなく、あのチェルノブイリ原発労働者の町プリピャチの保育園に残された人形や、一度も子どもたちが乗ることもなく止まっている観覧車、避難のために道路につらなるバスの列などまで見えてくる。
なぜ私たちはチェルノブイリを教訓にできなかったのだろう。

私個人としては福島原発事故後に詠まれた「ひとのあかし」に鳥肌が立った。
そしてその英訳「What Makes Us」に胸を打たれた。
そうだよね、何が人を人たらしめているのか。
それを失えば、人は人でなくなるのだ。

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 様々な講演会に参加するのは、今まで知らなかったことを知るのが目的であるけれど、私の場合、自分の思いを確認するためであることが多い。そう思って参加しなくても結果的にそうなる場合が多い。
まさに今日のトークも頷くことばかりだった。内容については皆さん、各地の講演会場で。

核兵器の原料であるプルトニウム。それを作っている原子炉が無くならない限り核廃絶はできない。
核廃絶と脱原発、劣化ウラン弾廃止、全部つながっているのになぜ一緒にできないのでしょう。
広島ではとくにそれを強く感じる。

昨日の会場旧日銀広島支店で2001年夏、世界のヒバクシャ写真展を行った。
あの時は「ヒロシマは広島の原爆被害だけではなく、その知名度をもって、世界の核被害を伝える義務がある」と思って開催したのだけれど、今思えばその頃の私はまだまだ甘かった。その後、9.11、アフガニスタン攻撃、そして3月20日のイラク攻撃とアメリカは突っ走っていった。
そして日本もアメリカに従ったと言っていい。
原発導入のからくりも同じようなものだった。

3月20日にこの展示と、講演に接することができたことに感謝。

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posted by sneshika at 10:58| 原発

2012年01月20日

森住卓写真展『福島』に新しい写真追加!

森住卓写真展『福島』に新しく20点の写真を追加しました。
http://www.morizumi-pj.com/shashinten/fukushima.html

写真展『福島』は計40点になりましたので、どうぞ皆さんの町でも展示してください。

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posted by sneshika at 09:50| 原発

2011年11月21日

イーゴリ・シマコフ、俳優、26歳

チェルノブイリと福島の連載がまだ終わっていないことが気になりながら、しばらくあるイベントに時間をとられていてまだ書けずにいます。
そしてその忙しさのために、昨年末からずっと見てきたあるブログを見ることも忘れていました。
数日前に久しぶりに覗いて、長い間見なかったことをとても後悔しています。
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イーゴリ・シマコフ(Иголь Шмаков)。ロシアの若く有望な俳優。彼を知ったのは全くの偶然で、何かをネットで調べている最中でした。
記事には大きな写真が掲載されていました。その端正な容姿に惹かれたのはもちろんですが、記事には、彼が白血病にかかり、治療のための莫大な費用をまかなうために彼の妻が寄付を募っているというのです。
彼はロシアのリペツクという所の出身で、1985年9月生まれ。私はすぐリペツクの位置を調べずには居られませんでした。
リペツク州はチェルノブイリ原発事故の放射性物質で汚染された地域でした。事故当時彼は生れて数カ月の赤ちゃん。
それだけで、彼の白血病とチェルノブイリの因果関係を考えるなんて早計過ぎるのは分かっています。それでもどうしても気になって調べていると、奥さんの書くブログを見つけたのです。

ロシアでの治療では治らず、ドイツで骨髄移植をすること、ドイツでの入院生活、家族の愛情あふれる日常の様子が綴られたブログを、祈るような気持ちで追っていました。
そして、とうとう移植手術ができ、喜ぶ記事が書かれていて安心していたのですが。

10月6日、手術の甲斐もなく彼は亡くなったそうです。26歳。若い妻と幼い息子を残して。

亡くなって40日もして、やっと知ったことを申し訳なく思うと同時にご冥福を祈ります。

リペツク州で何らかの形でチェルノブイリの被害にあっている人は2万3千人とのことです。
posted by sneshika at 00:28| 原発

2011年10月31日

チェルノブイリと福島―ベラルーシの経験を福島に生かせるか(4)

ベラルーシの民間研究所で作られているリンゴのペクチンで作られたビタペクトというサプリメントのことが少し話題になっている。
このペクチンは、体内に入ったセシウムを除去する効果があると言われているからだ。その件で先日もその研究所の副所長さんが来日し、記者会見が行われていた。
今回のベラルーシ訪問で、その真偽を確かめることができれば、と思っていたのだが、その研究所に行く時間はなく、事前に聞いた話では、今、手に入りにくくなっているということだった。
ベラルーシの赤十字でも、チェルノブイリ事故後の対策として低線量被曝の人のセシウムの排泄にペクチンが使われているとの話だった。
しかし、そのビタペクトを学校で子どもたちに与えたデータでは、確かにビタペクトを飲む前と1カ月後の体内のセシウム量を比べると減ってはいたが、ビタペクトを飲んでいないグループとの比較がなかったため、効果が明らかかどうかわからなかった。


それはともかく、大きなスーパーでその類似品が販売されているのを発見した。要するにセルロースとペクチンでできたものだ。
その説明書には色々な効果が書かれてあるのだが、そのトップに1、放射線病の予防、放射能汚染地域での放射性核種の排出、と堂々と書いてある。
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そういうものがスーパーに並んでいる光景は異常であるはずなのに、全く日常の光景のようにあまりにも普通に売られていたのだ。
日本でもこういう日が近いうちに来るのかもしれないと恐ろしく思っていたら、帰国して間もなく、連日たくさん届くセールスメールの中にこんな文字が。
個人被爆(ガンマ線外部被爆量)の測定に最適!個人用線量計○○○○発売中☆」 
posted by sneshika at 00:31| 原発

2011年10月29日

チェルノブイリと福島―ベラルーシの経験を福島に生かせるか(3)

ブレスト州内分泌診療所のアルトゥール院長とウラジーミル医師は、移動検診チームとしても働いている。彼らは広島でも何度か研修を受けた人たちで、日本の吸引穿刺の技術を習得し、現在では他の医師もその技術を身につけて現場で実践している。吸引穿刺で細胞診断することで、不用な手術を減らすことができる。今回の医療支援団に初めて参加した甲状腺専門の医師も、彼らの技術の高さに、日本でもこれほどの技術を持った人は少ないと感心していた。

研究者ではなく現場の医師としての彼らからの日本へのアドバイスは、
 
1、人々の不安を減らすために正しい情報が出されなければならない。
 2、正しい公衆衛生を徹底すること。つまり、汚染されていない食物を摂る、シャワーを浴びて放射性物質を洗い流す、規則的な排泄習慣、免疫機能を高めるために睡眠をよくとり、色々な種類の食べ物を摂るなどだ。

特別なことではないが、自分や家族の身は自分で守るために、少しでも健康被害を少なくするために、できることはやっていくべきではないだろうか。
アルトゥールさんは個人的な意見として、チェルノブイリ原発事故の影響は100年は考えていかないといけないだろうと語った。日本もその覚悟で対応していかなければならないだろう。
  「日本でもスクリーニングをするのなら、喜んでお手伝いをしましょう。」とアルトゥールさんは付け加えた。 

関連記事:今日の中国新聞「フクシマとヒロシマ」<3>低線量被曝 20年経てがん患者なお


posted by sneshika at 09:31| 原発

2011年10月28日

チェルノブイリと福島―ベラルーシの経験を福島に生かせるか(2)


ご存知のようにベラルーシではチェルノブイリ原発事故の影響で甲状腺ガン患者が増えている。
ゴメリ州が最もよく知られているが、ブレスト州にもストーリン、ピンスクなど汚染地域がある。いわゆるホットスポットという地域だ。
ブレスト州はベラルーシでは西側に位置し、ポーランドと国境線を分かつ。そのポーランドではチェルノブイリ事故後ヨード剤がすぐに配られたため甲状腺ガンの発症は少ない。その事実に基づく反省も日本では生かされなかったように思う。

ブレスト州の人々に対してはベラルーシ赤十字の移動検診チームがスクリーニング検査を行っている。
超音波で異常が認められた人たちが、私たちの訪問に合わせてブレスト州内分泌診療所に集まっていた。
この日も超音波診断を受け、今までの経過などから細胞診が必要だと医師が判断した人が吸引穿刺を受けていた。(ここで間違ってはいけないことは、この日来ていた患者さんはスクリーニング検査で既に異常が認められた人たちだということ72日のブログでも書いたように毎日たくさんの患者さんが訪れ、その内何人もガンが見つかるというわけではない。昨日から始まった中国新聞の連載中、28http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/fukushima/series/Fs201110280001.html 読み間違えないようにご注意頂きたい。)


吸引穿刺を受けた患者さんに話を聞くと、皆、検診を受けるまで甲状腺の異常には気がつかなかったという。以前手術を受けた女性も、全く自覚症状はなかったそうだ。 検診がなければ、発見されず、手遅れになってしまう恐れがある。ベラルーシはもともとヨード欠乏地域で、日本は海に囲まれヨードが豊富なため、ベラルーシと全く同じように甲状腺ガンが増えるかどうかは分からない。しかし、可能性は否定できない。日本でも10月から福島県内での検診が始まったが、きめ細かい検診を行うには甲状腺の専門医がたくさん必要となるだろう。
posted by sneshika at 11:09| 原発

2011年10月27日

チェルノブイリと福島 ―ベラルーシの経験を福島に生かせるか(1)

久々の更新です。

チェルノブイリと福島―ベラルーシの経験を福島に生かせるか
 

925日から101日、ベラルーシへの医療支援に同行した。毎年行われるチェルノブイリ医療支援団体からの派遣で、私は三度目の訪問となる。
参加を決めるにあたって、実はとても悩んだ。今、福島の原発事故で多くの人々が苦しんでいる中、他の国の支援をしている場合ではないだろうと。
しかし今まで、はたしてどれだけ真剣に現地の人の言葉に耳を傾けていたかを考えると、もう一度行って25年の経験を知り、福島に少しでも生かすことができないか、との思いで参加に踏み切った。
また、今回は新聞3紙の記者の同行もあったので、今までとは違った方面での情報が得られるかもしれない、という期待もあった。

 ベラルーシでの最初の訪問は日本大使館。
松崎大使は、私たちの訪問に、堰を切ったように語り始めた。
福島第一原発事故後、日本の国の機関からベラルーシを訪れたのは農水省だけだった、本来厚労省や文科省が一番に来て情報を得るべきではないのかと。農水省からは土壌の専門家と畜産の専門家がやってきて、ベラルーシの研究所からたくさんの資料を持ち帰ったとのことだった。
それを聞くと、現在に至るまで日本で行われている対策に思いが及ぶ。やはり日本の当局がしていることは、人々を被曝させないための避難より、汚染した土壌をなんとかして、避難を減らしたり、いったん避難した人々を元に戻すというものなのではないか。

チェルノブイリの状況をよく知り、しかも福島県出身の大使は、半年が経過しても具体的な方策ができていない日本の現状にいらだちを隠せなかった。
チェルノブイリでも30キロ圏内の汚染地域にはいまだに戻ることができない。 もちろんお年寄りなど住み慣れた土地で余生を過ごしたいと自発的に戻っている人々はいるが、少なくとも子どもや若者が暮らせる環境ではない。
日本でも高汚染地域には今後長い期間戻ることはできないだろう、いたずらに戻れると期待を抱かせるような対策を取るより、土地を買い上げるなど、抜本的な対策・補償を早く行うべきだと語った。
また、甲状腺ガン以外のガンの放射線との因果関係については、チェルノブイリ事故前、旧ソ連時代は医療体制は制度的には整っているように見えたけれど、中身は充実していなかったのでデータはなかったと言っていい、統計は鵜呑みにしてはいけない、とのことだった。
要するに、甲状腺ガン以外の癌に関してはデータ上で判断するとすれば「ない」とか「ある」とか言えるレベルではなく、「わからない」というのが正しい表現なのかもしれない。(つづく)
   
posted by sneshika at 08:48| 原発

2011年07月02日

汚された大地で 〜チェルノブイリ 20年後の真実 −誤解を避けるために

YoutubeにアップされているNHKのドキュメンタリー「汚された大地で 〜チェルノブイリ 20年後の真実」が福島原発事故後ネット上でしばしば話題になっています。チェルノブイリを再度認識して、福島を考えていくうえで、良い番組だと思います。ここで取り上げるまでもなく、たくさんの方が見てくださっているのですが、やはりこのブログ「残したいこと」に加えておきたいと思います。

ところで、五分割されてアップされているこの番組の3番目に広島の武市医師による検診の様子が写されています。



この中で、武市医師がベラルーシのブレストという所で、甲状腺ガンの細胞診をしている際に、3日間で52人中7人に甲状腺ガンが見つかった、という場面があります。
これを見て、たった3日間の検診で、しかも52人の分母中7人もの甲状腺ガン患者が見つかったということは、その発生率はすさまじい割合で、例えば1カ月検診を続けたら、その何倍もの甲状腺ガン患者が見つかるかもしれない、と理解する人がいらっしゃるとしたら、それは誤解です。

ブレスト州では、現地の赤十字の医療チームが、日本の支援グループ(チェルノブイリ医療支援ネットワーク)が贈った検診車を使って移動検診を行っています。彼らのスクーリニングによって、甲状腺の異常が見つかった人たちが、武市医師ら日本からの検診団の日程に合わせて、この3日間に集められているのです。ですから、分母である52人は、自ら調子が悪いからその日たまたま病院に受診しに来た人たちではないのです。もし誤解を招いているとすれば、それは武市医師の責任ではなく、この番組の説明不足であると思います。

しかし、事故以前に比べるとかなり高い割合で甲状腺ガンが発症している事実に変わりありません。
ベラルーシで汚染がひどいゴメリ州についてはよく知られていますが、ブレスト州にも、スト―りン、ピンスクといった地区がいわゆるホットスポットとして汚染され、甲状腺ガンが増加したのです。
posted by sneshika at 00:31| 原発

2011年06月28日

「福島は謝らなければならない」いいえ、だれでも

6月11日、原爆ドーム前の脱原発の集会の中で「福島は謝らなければなりません。」
と語った女性がいました。声を震わせながらも毅然と。
そして私たちに向かって深く、深く頭を下げてくださったのです。
えっ、なぜあなたが謝るんですか?私は思わずビデオのボタンを押して彼女の残りのスピーチを撮りました。その言葉には胸が詰まってカメラは大ブレ。そして次に語った男性のゆっくりと噛みしめるような言葉は、その重さを胸に刻むものとなりました。彼らは福島から今、広島に避難してきている人たちです。
私は集会後彼らと言葉を交わしたものの迂闊にも連絡先を交換しておらず、彼らにその映像を公開して良いかどうか確認するのに時間がかかってしまいました。

昨日、その女性とやっと再会を果たし、また男性から映像公開OKのメールが届き、そしてまさに昨日、地元の中国新聞の女性記者さんが私と同じ思いの記事を書かれていたのです。そこで私はまたまた運命的なものを感じここに書いているというわけです。

女性は映像公開をためらっていらしたので、大ブレの下手なビデオに代えて彼女のスピーチを文字でここに残すことにします。

福島は謝らなければなりません。
原発立地県民として世界中の皆さんに謝らなくてはなりません。
現福島県知事に福島原発運転再開とプルサーマル運転許可の判を押させてしまい、県民の一人として止めきれなかったこと、結果が出せなかったことを本当に申し訳なく思います。
ごめんなさい。
これはやっぱり県を出てみて初めてひしひしと感じたことです。
出てみなさいとは言われませんでしたが、本当に、ここまでやってきて、
被害者であると同時に加害者であるということの一端を(担っていたことを)
自分でもう一度かみしめ直して、皆さんの前にこのように立たせて頂けた
ことを、良かったと思っています。


脱原発パレード終了後、彼女に、「謝らなくてもいいですよ」と私が声をかけましたら、彼女は「いいえ、謝らなければならないのです。私たちがやめさせることができなかった、力が及ばなかったことを今しっかりと反省して、この悲しい犠牲を無駄にしないように、今どうしても止めると心に誓うために、謝らなければならないのです」という意味のことをきっぱりと言われたのです。
私は広島が謝らなくてはならないと思っているのに。

事故はどこででも起こり得る。福島だけではなく。私たち日本人みんなが今彼女と同じように反省し、正しい道を選ばなければ、日本はおろか地球全体に罪を犯すことになります。
ですからたくさんの人に、そしてこれでもなお原発を存続させようとしている方々に読んでもらいたい言葉です。

男性の映像はこちらに。彼は奥さんと子どもさんを広島に避難させ、福島で仕事をしています。月に一度家族のもとへ通うとのことでした。



posted by sneshika at 11:47| 原発

2011年06月20日

森住卓写真展:「Nuclear Blue 核に蝕まれる地球」に福島の写真を追加

森住卓写真展 http://www.morizumi-pj.com/shashinten/index.html
「Nuclear Blue 核に蝕まれる地球」に福島の写真を追加しました。

悲しいです。福島を追加しなければならなくなったなんて。本当に悲しい現実です。
以前、stop rokkashoという企画で坂本龍一さんやshing02さんたちが作られた曲と「Nuclear Blue」の写真のスライドショーを作りました。
その時のコピーを「これらは明日の六ヶ所かもしれない」としたのですが、六ヶ所の前に福島が来てしまいました。

「Nuclear Blue」の写真の一つ一つ。それらの悲劇は、次の悲劇を生まないための犠牲ではありません。過去の教訓になんてなりたくない、何の罪もなく、逃げることもできず、汚され、健康を奪われていった事実です。
しかし、それらを見、知った私たちは、せめてこの過ちを繰り返さないことでしか、彼らの犠牲に報いることはできません。
残念なことに、過ちは繰り返され、福島は起こってしまいました。私自身、努力が足りなかったと悔やまれます。

スリーマイルの事故を起こした国も、チェルノブイリの悲劇を生んだ国もいまだに原発を続けています。今、日本がやめなければ、地球全体に禍根を残すでしょう。
今、原発を続けるかやめるかを問われるなら、選ぶ道は全廃でしかないはずです。
NHKでアンケートを実施中です。http://www.nhk.or.jp/genpatsu/

核の悲劇を見、知り、そしてこれからの道を決めるために、皆さん、写真展「Nuclear Blue 核に蝕まれる地球」を利用してください。

上の記事で紹介したサイト
■福島の写真のサムネールとキャプション
http://www.morizumi-pj.com/shashinten/fukushima.html
■「stop rokkasho+Nuclear Blue」
http://www.morizumi-pj.com/shashinten/stoprokkasho.html
posted by sneshika at 10:09| 原発

2011年06月12日

6.11脱原発100万人アクションinヒロシマ

大雨を予想していましたが、すっきり晴れわたり、天は私たちに味方したのか、という一日となりました。

スタート集会では福島から避難してこられた方々の訴えに本当に胸が痛み、そして責任を共感しました。



みんなのアピール



posted by sneshika at 15:51| 原発

2011年05月26日

二つの記事:長崎は「脱原発」連合は「凍結」

今日のニュースから、二つに注目したい。

■長崎被災協が「脱原発」 運動方針の新たな柱に(長崎新聞)
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20110526/01.shtml

1956年の設立以来、核兵器廃絶の運動はしてきたけれども原発の是非には触れてこなかった長崎被災協の評議員会で、満場一致で脱原発の運動方針を決定したとのこと。

■連合、原発推進の方針凍結…今後は白紙で議論(読売新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110526-00000890-yom-pol
 
昨年8月に原発推進を表明していた連合が「着実に進める」としていた従来の方針を凍結することを決めた。

 
このまま世の中が脱原発の流れにシフトしていくことを切に願います。

posted by sneshika at 22:55| 原発

2011年05月25日

6.11脱原発100万人アクションinヒロシマ

6.11脱原発100万人アクション、広島でもやります!



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posted by sneshika at 01:06| 原発

2011年05月18日

心配なこと

チェルノブイリ事故から避難した人に聞き取り調査をした方のお話を先日聞きました。

原発労働者の町プリピャチから、ウクライナの首都キエフに移住した人を対象にした聞き取り調査です。
政府は避難者には優先的に公営住宅を提供し、交通費無料パスも支給されました。さらに学校の給食では他の子どもたちより何か一品多かったそうです。
それらは当然あるべきことだったのだと思います。
けれども、もともとキエフに住む住民の中には、公営住宅への入居の順番を長く待っている人たちがいて、それが避難者に持っていかれてしまったとやっかみを言われることが多かったとか。バスでも嫌な顔をされ、学校では他の子どもたちにいじめられ・・・

先日知人に「広島にも数百人の人が避難してこられてるんですって」と、私が言ったら、彼女は「そうなのよ。これで私も、いつ市営住宅に入れるかわからない」と困ったようにつぶやくのです。
彼女の事情をよく知っているだけに責める気にはなれません。

もちろん、何かおかしいのかもしれません。避難する方のために新しい住宅が建てられることが一番いいのかもしれません。
でも、お願いだから、体の被曝だけでなく、中傷による心の痛みまで広島、長崎やチェルノブイリの人たちと同じにしないでください。

チェルノブイリの聞き取り調査をされた広島大准教授の川野さんの記事がありました。
http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000161105110001
posted by sneshika at 23:31| 原発

2011年05月17日

広島は福島に謝らなければならない(3)

広島で開かれた原子力平和利用博覧会の写真は見つかりませんが、翌年開催された広島復興大博覧会の写真。
この原爆資料館が原子力館として使われました。

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この原子力平和利用キャンペーンで利用されたディズニー映画
Our Friend The Atom


【追記】

このブログを読んでくださった方から、どちらでの開催かわかりませんが、原子力平和利用博覧会内部の様子を送っていただきました。

原子力平和利用博覧会.JPG
posted by sneshika at 01:40| 原発

2011年05月16日

広島は福島に謝らなければならない(2)−利用された被爆者

「1955年1月 米下院議員、広島に原子力発電所建設提案」を知って、初めてブログを書いたその日、つまり昨日、ブログで引用した広島平和研究所教授 田中利幸さんの講演がありました。
その偶然に運命的なものを感じて参加したのですが、それは実は必然的なことだったのかもしれません。
なぜこの被爆地広島の歴代市長が原発に反対してこなかったのか、なぜ核禁運動の中で、原発は大きく取り上げられないできたのか、今までずっと思い続けてきた疑問を、今、解き明かさないではいられない、という人は少なくない、ということなのだと思います。

田中教授によれば、アメリカのシドニー・イエーツ議員の提案は以下のものでした。
 1、広島を原子力平和利用のセンターとする。
 2、私の考えでは広島の原子力発電所は3年以内に操業できる。
 3、私は最初に原爆に被災し、いまなお治療を要する6千名の広島市民のため、病院建設を計画したが、原子力発電所建設の方が有用だと考えるに至った。

それに対する広島の反応としては、当時の浜井市長は「医学的な問題が解決されれば大歓迎」、「原爆の子」の長田新広大名誉教授は「民主平和的な原子力研究が望ましい」、森瀧市郎広大教授は、原発には反対だが、論点は原爆被害者の治療と生活の援助の方を希望するというものでした。
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この後、日本各地で「原子力平和利用博覧会」が大々的に行われ、広島でも56年5月27日から3週間にわたって開催されました。会場は前年度に完成した原爆資料館。期間中、収蔵品は公民館に移され、原爆資料館は原子力のバラ色の夢で満たされたのです。
この博覧会を見た著名人たちは平和利用による有効性を認めた感想を述べています。イエーツ議員の提案の時には反対の意見を述べていた森瀧さんでさえ、廃棄物の処理問題に危惧を持ちながらも、原子力の応用の大きいことを認めているのです。

田中教授の考察
まさに地獄のような原爆体験をさせられ、放射能による様々な病気を現実に抱え、あ
るいはいつ発病するか分からないという恐怖のもとで毎日をおくっている被爆者たち、しかも被爆者の中の知的エリートたちまでもが、なぜゆえに、かくも簡単にこの「原爆=死/原子力=生」という二律背反的幻想の魔力にとり憑かれてしまったのであろうか?しかし、そのような苦しい体験を強いられ、愛する親族や友人を失い、自分も傷つけられた被爆者だからこそ、「貴方たちの命を奪ったものが、実は、癌を治療するのに役立つのみならず、強大な生命力を与えるエネルギー源でもある」というスローガンは、彼らにとっては、ある種の「救い」のメッセージであったのかもしれない。花
火や音楽をともなったお祭り騒ぎの「原子力平和利用博覧会」や「復興大博覧会」は、被爆者にとっては、そうした「救いと復活」のメッセージの祭典であったのではなかろうか。アメリカにとって、とりわけ原子力推進にかかわっていた政治家や企業家にとっては、原爆被害者から「原子力平和利用」支持のこのような「お墨付き」をもらうことほど有利なことはない。それゆえにこそ、広島が、とくに被爆者が、「原子力平和利用」宣伝のターゲットとされ、繰り返し「核の平和利用」の幻影が彼らに当てられ、被爆者たちはその幻影の放つ輝かしい光に眩惑されてしまったのである。その
意味では、被爆者たちは「核の二重の被害者」とも言える存在である。

田中利幸
posted by sneshika at 23:51| 原発

2011年05月15日

広島は福島に謝らなければならない


私は広島生まれではありませんが、この地に住んで久しい広島市民です。
原爆について、ある程度は知っているつもりです。でも、すぐ説明しろと言われると難しい。
ですから、そういう必要が生じたときは『絵で読む 広島の原爆』文:那須正幹、絵:西村繁男(福音館書店)という絵本を紹介しています。

絵本ですが、子どもたちだけでなくおとなにも多角的に原爆を知ることができる1冊です。
被爆時の惨状はもちろん、マンハッタン計画、核の連鎖反応、放射線障害、放射性物質が蓄積しやすい臓器、半減期、、、、そういえば、臨海という言葉もこの本で知りました。

ところで、今日改めてこの本の中に出ている年表を見たのですが、そこに、「1955年1月 米下院議員、広島に原子力発電所建設提案」という一文が書いてあります。
ある程度反核運動などをされている方は「そんなことも知らないの?」と言われるかもしれません。
でも、私は知らなかったのです。
「なんと、アメリカは原爆で破壊し、汚した地に、原発まで押しつけようとしたのか、」と憤りをもって、早速この件を調べました。

森瀧市郎さんの『核絶対否定への歩み』(渓水社)によれば、
1955年1月、イエーツ米国下院議員が広島に原子力発電所を建設すべしとの提案をなした、との報道が新聞・ラジオで行なわれたので、原水禁広島協議会常任理事会で協議し、問題点を明示する声明書を出す。

中国新聞に載った声明
1、原子力発電所装置の中心となる原子炉は、原爆製造用に転化される懸念がある。
2、原子炉から生ずる放射性物質(原子核燃料を燃焼させて残った灰)の人体に与える影響・治療面の完全な実験が行なわれていないため重大な懸念がある。
3、平和利用であっても、原子力発電所の運営に関してアメリカの制約を受けることになる。
4、さらに、もし戦争が起こった場合には広島が最初の目標になることも予想される。
5、原爆を落とした罪の償いとして広島に原子力発電所を設置するということもいわれているが、われわれは何よりも原子病に悩む数万の広島市民の治療、生活両面にわたる完全な補償を行なうことを要望する。

この声明に対する浜井広島市長の新聞談話は「原子力平和利用は一昨年から私が米国によびかけていたもので、とくに昨年渡米したときマイク正岡氏にも頼んだ。彼の熱心な運動が実を結んだのだと思う。しかし微量放射能による悪影響が解決されない限り平和利用はあり得ない。
いずれにしても原子力の最初の犠牲都市に原子力の平和利用が行なわれることは、亡き犠牲者への慰霊にもなる。死のための原子力が生のために利用されることに市民は賛成すると思う」

さらに、広島平和研究所・教授 田中利幸さんの「原子力平和利用」と広島
http://peacephilosophy.blogspot.com/2011/05/yuki-tanaka-hiroshima-was-target-of.html によれば、
広島市は1958年4月1日から、「広島復興大博覧会」を開催した。最も人気を集めたのが、史上初のソ連の人工衛星を展示した宇宙探検館と原子力科学館であった。原子力科学館には、55年に開館した広島平和祈年資料館が当てられた。

『広島復興大博覧会誌』には、次のような描写も含まれている。「近い将来実現可能な原子力飛行機、原子力船、原子力列車などの想像模型が並べられている。人類の多年の夢が、今や現実のものとなってくるかと思えば本当に嬉しい限りだ。原子力の平和利用は、世界各国が競うて開発しているところであるが、ここには各国最新の情勢が写真でもって一堂に集められている。
今や日進月歩の発展を遂げつつある世界の原子力科学の水準に一足でも遅れないようにわが国も努力をつづける必要があると痛感させられる。」


先ごろ、日本への原子力発電所導入をめぐる、アメリカと読売新聞の正力松太郎氏についての番組を見ましたが、広島の市長自らがアメリカに働きかけていた事実、また、広島復興大博覧会における原子力科学の展示が現在の原爆資料館の前身で行われ、人気を博したことには驚愕する思いです。

これが今日につながってきたのかと思うと、広島は福島に謝らなければならないのではないでしょうか。
posted by sneshika at 01:44| 原発